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流しのしたの骨

2008/10/31 02:55 - | Comment:0 | Trackback:0
中途半端な決意と時間では始められない、と、半ば言い訳に過ぎないこの理論により
卒論やら何やら、なかなか手を付けられずにいる今日この頃。

つい、再読してしまいました。

江國香織さんの『流しのしたの骨』


『きらきらひかる』とか、『冷静と情熱のあいだーRosso』とか、
『神様のボート』の草子ちゃんの章とか、彼女の小説で特別好きなものっていくつかあるけど
『流しのしたの骨』は、なんというかその中でも特別好きでした。

放っておくと、これらばかり読んでしまいそうになるので
なるべく手に取らないようにしていたのですが、
今回は「読まなければいけない」小説を読むのがおっくうで困っていたので、ついついw


内容は、一言で言えば「ちょっと変わった」家族のお話、ということだと思います。
これを読んでいると、上手く言えませんが、気持ちがうるかされていく気がします。
幸福なことにほっとして、緊張していたものがほどけていく感じ。

このお話の、守られている感じが多分好きなんだと思います。

同じ「家族の物語」でも『間宮兄弟』は何故か苦手だったりして、
何故だろうと思う訳ですが、彼らは社会から奇異の目で見られる存在であることを
感じてしまうからなんだと思います。


話の中に、何度も「味方」という言葉が出てきます。
しま子ちゃんの味方、そよちゃんの味方、律の味方・・・

 でも、なんにせよ、私たちはしま子ちゃんの味方なのだ。つねに。


生活していく中で沸き起こる問題に対して、
どんなに奇妙でみょうちくりんでも、協力し受け止めようと手をさしのべてくれる人がいる。
この話の中には絶対的な安心感があります。

『きらきらひかる』も同じぐらい、みょうちくりんで自由な話だけど
誰も受け取れない寂しさのようなものが、そこにはあった気がします(うろ覚えw)

『冷静と情熱のあいだ』は、もっと、もっと寂しい。というかずっと寂しいw
でも、それはそれで、すごく好きです。


そういえば、
どの作品も、相手の男性が底抜けて優しいという設定だったような気がする。
やっぱり「守られている」という感覚は重要なように思います。


 『きらきらひかる』の中にも『流しのしたの骨』の中にも
 主人公の女の子が相手の男性に「なんとかの話をして」と投げかけるシーンが出てきます。

 「紺君の話をして」 「人生の話をして」

 この言葉(言い方?)が私はとても好きです。
 一方的な要求も、それに応えようと悩んだ末に語り出される言葉も。


 『流しのしたの骨』の中の「小さな律」という言い方もすごく好きです。
 まだほんの小さな子ども。
 もう中学校を卒業しようとする年齢だとしても、やっぱり姉の中では
 弟はいつまでも小さいままのような気がする、という気持ちが分かる気がするからです。

 20になっても、私にとって、弟はずっと小さいままです。
 そんなことは決してないんだけどw
 夢の中にも、弟は小さいままの姿で出てきます。
 私にとっての弟は、多分幼稚園とか、小学校低学年とか
 所謂「男の子」 のままで止まっています。 
 いい加減更新してあげなきゃいけないんだけどw


そんなこんなで、もう3時だ・・・
寝ようw 
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夢日記20(メモ)

2008/10/31 00:57 - | Comment:0 | Trackback:0
内容をほとんど思い出せない、もしくは断片的な記憶だけど一応メモ


昔、習い事でお世話になっていた先生が出てくる夢。

 ・広い家というか、庭
 ・おもちゃっぽい水道を私たちが持って行く
 ・えれくとーんが出てきたはず



日常の延長線上を思わせる夢(仮)

 ・途中で「禁止されていること」であることに気が付く



知り合いが懐かしい姿で出てくる夢

 ・本人が布団の中で寝ころんでいる。
  微笑んでいて、おいで、というように布団の中に入れてくれようとする。

10月4週目

2008/10/31 00:37 - | Comment:0 | Trackback:0
21日(火)全体練

確か3章中心?
「はれはれ れろれろ」 の部分の強弱の付け方を
f → mf にして、mf は弱々しくならないように気をつけてとのこと

一拍でクレッシェンド、二拍目でデクレの部分を
もう少し頑張るようにと言われた気がする。

録音して聞く。


※日曜は演奏会の手伝いで部員一同かり出されるため、
 全体練は土曜だった。私はLGBT講座に行っていたため欠席。

10月3週目

2008/10/31 00:29 - | Comment:0 | Trackback:0
うろ覚えのため、ざっくりです。


14日(火) 全体練
確か一章中心

テンポを上げての練習。
16分が遅れるという指摘があったかも知れない。
強弱記号をハッキリ出すような指摘もあったかも知れない。

最後に録音をし、みんなで最後に聞く。


18日(土) パー練
確か一章中心

何やったか忘れた(ぉぃ
多分、最初に三章の気になるところをやって、
一章の復習をしたはず
でも、二章のクレッシェンド・デクレッシェンドを決めた気もする


お稽古
1年生の『ろくだん』を見てもらう。
OBさんもいたので箏を弾いてもらい合奏。

最初に上級生が手本として吹くようにとの指示がある。
その後、1年生が吹く。
みんなのいる前での演奏で当人が緊張していただろうこともあり
途中で先生が一緒に吹いてくれていた。

装飾音が長すぎるので、それならば付けない方が良いとアドバイスされていた。

次ぎに先生とOBさんが演奏し、その場に居た他のメンバーは唱譜。


後で先生に、「ひ」の音に気をつけるように指導するよう言われる。
「ろはひは ろはひは」と練習すると良いとのこと。


19日(日)全体練

確か二章中心
録音をして聞く。

覚悟が足りない

2008/10/26 00:15 - | Comment:0 | Trackback:0
市民向けのLGBT基礎講座に行ってきました。
長いことバスに揺られて、県を越えて。

今年だけで、その地には3度も足を運んでいます。行き過ぎだろ、自分らw
しかも、毎度スケジュールがきつくて、お土産を買う時間がないという↓
リンゴ買いたかった

その分野の支援で有名な、アカーの代表の方がお話して下さっていました。

  NPO法人OCCUR HP
   →http://www.occur.or.jp/

まさか、そんな有名な団体の方が来てくれるなんて!
しかも座談会まであるなんて!!とても貴重な体験が出来たように思います。


 講座の内容は、基本的な知識が中心でしたが、
 質疑応答の時間や座談会では、普段の素朴な疑問点などに答えて頂けて
 すごく良かったと思います

 そして代表の方、超格好良かったです(何
 とても雰囲気の良いステキな方でした☆


LGBTの支援団体がある県を示したマップが出てきましたが
私に馴染みの深い場所には、支援団体がないということが分かりました。

 「何か力になりたいが、どうすればいいか分からない。
 周囲に迷惑をかけるのが不安だ」

 という私の甘ったれた質問内容には
 「実際に当事者の方と触れてみれば良いのではないか」という内容の回答をいただきました。

 核になる人が2人いればいいね。とか。
 当事者がいると、その人の問題意識から広げていけばいい。とか。


 質問に答えてくれた、主催者の方とアカーの代表の方どちらもが
 覚悟が足りないとか、中途半端な状態が一番良くないといった感じの
 メッセージを発していたような気がします。

 図星だからそう言われても仕方がないけれど
 運動を実際に運営している側からすれば、私のような類の発言は
 きっとウンザリしてしまうんだろうなと思いました。
 
 やっぱり、安全な場所からいくらヤジを飛ばしたところで
 結局は意味のないことなんだなと思ったり。


 でも正直、自分が何をしたいのか、イマイチ見極めかねる部分があります。
 多分、自分が何者なのか、自分でもよく分からないというか
 上手く位置づけられないし位置づけられること自体嫌だといった現状があるせいで。

 私は当事者なのか、それともアライ(ストレートの支援者)なのか。
 当事者だとしたら、私は何に位置づけられるのか。
 アライだとしたら、何を願ってどんな支援に関わっていくのか。

  
 どこにも位置づけられたくないというのは、責任逃れなんだろうか。
 最近のもっぱらの悩みの種です。ちゅーに病です。25歳にもなろう奴がw

 
  「何か力になりたい」は
  私も誰かに力を貸して欲しいの裏返しでしかない、無責任なものなのかも知れない。

  自分は女にもなりきれないが、男としても生きられない、中途半端な存在で
  セクシャリティーも、考えれば考えるほど、自分の欲望がフェイクに思えて仕方なくなる。

    
  でも、結局、自分のことは、自分で肯定してあげるしかない。
  どこにも位置づけられなくても良いじゃない、その時々で違って当たり前だ。
  一貫性のある自己なんて、きっと巨像でしかない。自己は関係性によって変化するんだ。

  何かを選択するということは、何かを排除しているということだ。
    

  
  今でも、心のケアに執着してしまう自分がいる。
  でも、もう以前のように、心と向き合い切れなくなっている自分がいる。

  私は「心のケア」という作業に、何を求めているんだろうか。
  ひとつは、相手へのレスポンスの責任だと思う。でも心のケアじゃなくても良いだろう?

  やっぱり、私が誰かに対して何かをしようとするのなら
  自分の中の問題を一度しっかり片づけなければならないと思う。
  

風のように

2008/10/22 01:21 - | Comment:0 | Trackback:0
自分がやられていやなことは、人にしてはいけません


 そうは思っていながら、実行できない自分がいます。

 実行できなければ、思っていないと同じなんだろうか・・・

 人と付き合っていくということは、とても難しいことだと実感します。


 自己保身にばかり気が向いて
 相手の気持ちを見て見ないフリをすることが多くなった気がする。

 安全な場所から事を嘆いても、ほとんど意味がないにも関わらず
 最近、「以前」と比べて後ろめたい気分になることが増えた気がする。

 
 相手の想いと同じ分だけ、私も相手を想いたい。
 反吐が出るようなせりふを、以前は平気で口にしていたんだから不思議です。

 

 「強くなるより、優しくなりたいと思う」という意味が、今ならよくわかる気がする。
  
  弱いままでいい なんて
  渦中の人間には ほんの気休めにしかならない。

  弱いままでいるのは、正直しんどい。
  世の中に背を向けて独り走り続けるのは孤独だと思う。
  つらい、苦しい、さびしい、かなしい。

  強くなりたい、強くなりたいと思ってきた。
  少しのことでは動じない、強靭な精神がほしいと思っていた。

  普通になりたい ってずっと思ってきた。


  でも、たどり着いてみて、自分が捨ててきてしまったものを想って
  なんだか寂しく、後ろめたくなることがある。

  皆と一緒って、なんて不自由なんだろうって思う。

 
  だけど、私には、まだ「独りでも歩いていける」という自信がない。
  常に、「はぐれる恐怖」が付きまとっている気がする。
  
  あと何十年か後には、その恐怖に打ち勝てている自分がいるのだろうか。
  それとも、年をとるごとに、磨り減るようにその可能性は減っていくんだろうか。



    誇りある道を 歩いてく どんなときも
    やがていつか 独りだけになってしまうとしても

                  (小田和正 「風のように」より)  

この、節操なしっ!!

2008/10/19 00:28 - | Comment:0 | Trackback:0
今日、友達と後輩とラーメン食べてたら

いきなり「体目当て」のレッテルを貼られてしまいました。


・・・何で分かったんだろう(何?!


いや、もちろん、彼女はふざけて言っただけ(なハズ)ですが。
若干、 オイシイ と思ってしまう自分が切ないですw

でも、「体目当て」って冗談は、すごく際どいラインだなと思ってみたり。
喜んで食いついたら、それは人として・・・w

まぁ、間違っても私は清純キャラには成り得ないですけども
しかも、性欲って何だとか、身体関係も含めた依存関係について考えていると
あながち、間違っているとも言い切れないのか?とか思ったりして(いやいやw)


とりあえず、その場は
彼女が自らの「しょっぱい話」を披露してくれることで収束しました。
(何も提供出来なくてごめんw)


しかし、こういうことをブログに書いているからといって、
その手の類のお誘いを受ける気は毛頭ございませんので、ご了承下さいw

甘え

2008/10/17 03:38 - | Comment:0 | Trackback:0
最近また、
自分と他者との間の精神的な距離感について、考えたりする。

人がどうかは分からないが
私には、「依存」、もしくは「同一化」のスイッチが存在する。

スイッチが入った途端、私は人と、しかるべき距離を保てなくなる。
ものすごい引力によって引き寄せられ、自分で立っていられなくなる。

「相手は私の全てを理解し、受け止めてくれるだろう」という期待。
相手に与えてもらい、守ってもらうことで、バランスを保とうとする。依存。

もっと相手と近づきたいという欲求。
近づいて近づいて、一つになってしまいたいという欲求。同一化。
 

 自分の足で立つことが出来ない
 という状態は、不健全な状態であると思う。
 
 だから、自分の中にこういった欲求が起きると、私はひどく困惑する。
 この強烈な感情は何だろう。


 これは、母親との同一化の欲求なのだろうか、と思ったりもする。
 もしくは、絶対的な父親=社会 の存在から来る歪みによって
 甘えを渇望しているんじゃないか、とか。

 事実、私には以前ほどではないにせよ
 社会(規律)に常に縛られて生活しているという意識がある。
 不信感を抱き、それを打破したいと思う反面、それを完全に否定することも出来ない。
 
 例えば、「行儀が悪い」というのは、私にとって最高の贅沢であり、自由である。
 だが、行儀が悪いことで自由を獲得しようとしている時点で、もう既に縛られている。


 とにかく
 私は他者との関係の中に、親子の関係を見いだそうとしているんじゃないか
 と、ここ最近感じることがある。 他者にとっては何ともありがた迷惑な話だ。

 マズローの段階欲求説じゃないけど
 私の安全の欲求は満たされてないんじゃないか、とか大げさなことを思ってしまう。

 でも、誰でもそうなのかも知れない。
 誰しも、自己を肯定してくれる存在を求めているのかも知れない。
 


 また、ややこしいことに
 激しい感情と恋愛感情はとても似通っている。

 私の他者に対する激しい親和感情は、甘えから来ているだけだと信じたい。

 性欲が、一体どこから来るのか、どこからが性欲なのか、分からなくなる。
 衝動性と性欲って違うんだろうか。
 

 人を好きだという感情がよく分からなくなってくる。
 今まで好きだった人たちに抱いていた感情は、果たして恋愛感情だったのだろうか。
 よく分からない。
     

撃沈

2008/10/17 02:24 - | Comment:0 | Trackback:0
卒論中間発表、撃沈しました

前日にレジュメを作ってる段階から
自分のやりたいことや、主張したい世界のイメージが曖昧になり
何もここまで過激(極端?)なこと言わなくても良いんじゃないか・・・
という気がしてきたりして。



ジェンダー的な性差をなくすことは
男/女

の二分法ではなく、

男・・・・・・・・・・・・・・・・女

のように一種のスペクトラムとして表されるものなのか?


典型的な男・女を両極端に位置づけることは
「男/女」の概念を保持し続けることになりはしないだろうか。

そもそも、典型的な男・女の概念て何だ?
例えば力の強い泣き虫の男の子がいたとしたら
それは一体、どこに位置づけられるのか。

男・・・・・・・・・・・・・・・女
  ↑
 力が強い

男・・・・・・・・・・・・・・・女
            ↑
          泣き虫


こうなると
男・女の概念には、無数の項目が必要になってくる。
「力が強い」や「泣き虫」を男と女の軸から切り離すことが必要だ。

そうなってくると、男・女というジェンダーの概念は
最初からないんじゃないか、という気がしてくる。


しかし、カテゴリーを解体するということと
カテゴリーがN個になるということは一緒なのか?!


でも、一緒のような気がしてきた・・・
ごめんなさい、I田先生

その時は、カテゴライズするという行為自体に
問題があるような気もしたし
カテゴリーが個人の数だけ出来ることは
男女の概念で差別されてきた事から逃れることを
保障出来るんだろうか、疑問に思えたのです。


とりあえず、
もやもやしてたことが言語化出来たので良しとしよう。

相方

2008/10/15 03:24 - | Comment:0 | Trackback:0
 4年間、活動を共にしてきた仲間が居ます。
 つながり方は様々だけど、同じ学年で、同じパートのコは一人しかいません。
 プライベートな付き合いの深さ如何に関わらず
 足並みを揃えることが要求される関係のため、私はそいつを相方と呼びます。

 ただし、本人の前でそう言ったのは、多分1回しかありません。
 なぜならば、照れくさいから。


 ショックなことがあり、驚きすぎて、うっかり相方にメールを送ってしまいました。
 「私、怒りを通り越して悲しくなってきたよ」って、そのまま。

 歯に衣着せぬ物言いをすることが多い奴だったので、
 感傷的だと嘲笑されるんじゃないか、とか心配していましたが
 絶妙なバランス感覚で受け止めてくれたので、とても助かりました。

 相方が判断力に優れた人間で、本当に良かったと思います。
 
  
  メールをやりとりしていて、
  私と奴は、もっと協力すべきだったんだと、今更ながら思いました。

  でも、それが出来なかったのは
  私が臆病で自尊心ばかり高い人間だったせいだと思われます。

 
  私と相方はどちらかというと、真逆の存在です。
  意見が対立することも多い。

  出会った当初は、押し問答を永遠繰り広げたりもしていました。
  でも、どこかで、対立するのが怖くて、相談するのがおっくうになってしまった。
  
  でも実際の問題は、対立することではなく
  自分が否定されていると感じてしまうことにあったように思います。

  言葉尻ひとつで、頭に来て、それ以上冷静に話を聞けない自分がいる。
  問題意識を共有出来ないことにストレスを感じ始めていた頃です。


  「あいつは面倒なことには手を出さないから、協力してもらえない」

  
  でも、相談が成立することも増えてきました。
  奴の中で、何かが変わったのかも知れません。
  私が変わったのかもしれません。
  もしかして、何も変わっていないのかも知れません。

  
 とりあえず、相方には、今までごめんと謝りました。
 もしかして私が相談するのを、待ってたのかもしれない。
 でも、当時の私は心の余裕がなくて
 奴に手伝って欲しいと言うことが出来なかった。
 
 私を立てる意味も込めて、入り込めなかったし
 入れようとしなかったことを、少し申し訳なく思ったりします。


 在学中に伝えることが出来てよかった。
 
 かといって、特別関係性が変わるわけでもないですがw
 私は私で後輩を追っかけ回すし、
 奴は奴で、マンガに夢中になると話しかけても帰ってこないんだろうw
    
   

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